北海道のクマです

96年からミニフリーク誌で連載していた記事を、下記に掲載しています。

北海道のクマです
新連載 ミニ一代おじさん大いに吠えるコラム
今や英国以上といっても過言ではないほどにミニが根付いてる日本。
非常に特別なこの状況nこれからを、真剣に考える時期が来たのだ!
とひとりのおじさんが叫んだ。そのおじさんとは、ガレージミニの
クマひげ河西氏。最近は北海道に移って新展開に忙しいが、この声は
まさしくクマの遠吠え(?)。
日本中に轟く語りの、新連載コラムがスタート.

     

1,あなたの人生変えちゃうクルマだよ

何をいちばん話したいかというと、日本のミニについてなんだ。
ショップを中心とする業界、我々にとってのお客さんであるオーナー。
その両方がつくる日本独自のミニ文化みたいなものを、もうそろそろ
真面目に考えなきゃいけないと思っていた。そこで、
「ミニ、フリーク」に頼んで、僕に、いや僕にというのは
柄じゃないから、オレで通させてもらいますけど、そのオレに何か
できないかなーと相談したんだ。そうしたら編集部が、じゃコラムを
連載しょうと言ってくれて、オレは本当はコラムが何なのか
よくわからいんだが、とにかくこういうことになっちゃったわけ。
出しゃ張るつもりはまったくないんだけど、しばらくはおじさんの
独り言に付き合ってもらうことになりました。
第1回は何から話そうか、これでも結構悩んだ。とにかくミニに
関係するすべての人々が、これからもずっと楽しくミニとかかわっていくために
考えたり話さなきゃいけないことがある。どこから始めるかひとりで
あれこれ苦労してたら、編集部のT村氏が、最初だからオレの経歴を
話せと言うんだ。オレのことなんかいいって言ったんだけど、
彼が任せろと言うんでね。恥を忍んで自分のこれまでのメカニック
人生を振り返ろうと思う。聞いたっておもしろくないって言ったんだよ、
本当に。

だいたいクルマのメカニックになろうと思うヤツは、子供の
頃からクルマが好きなんだろうね。でも、オレは違ったの。
特別な興味はなかったなあ。もっとも、オレの小学生時代はクルマが
少なかったからね。まだ木炭車が走ってたんだよ。親父の故郷が
長野県の諏訪で、夏休みに遊びに行くと岡谷の抜ける峠道で
よく見かけたんだ、坂を上がれない木炭車を。昔はクルマが
炭で走ってたんだよ。クルマの思い出というと、その木炭車と、
親戚のおじさんが買ってくれたジープのおもちゃくらい。
そうそう、クルマの排気ガス、あれはいい臭いだと思ったな、
なぜか。メカニックになるなんて夢にも思わなかったオレが
初めてクルマを意識したのは、18歳の頃。ワルだったよ、
高校時代は。結局途中で行かなくなっちゃって、なんとなく
北海道に向かっちゃったのよ。当時はさ、カナダに移住するとか
貨物船でアメリカに渡るなんてのが流行していて、で、オレも
何となく広い土地に行きたかったの。牧場でアルバイトとか
やってね。将来に対して不安だったんだろうな。
何をしたらいいのかわからなくて。金なんかないから、
北海道までヒッチハイクもしくは徒歩。
ある日、乗せてもらった
クルマが壊れたんだ。全然直らなくて持ち主はすごく弱ってるんだけど、
オレには何もできない。雇ってもらった牧場でも似たようなことが
起きて、なぜだか妙に考えちゃったんだ。このもどかしさは
何だろうって。もしかしたら、これがオレのやることなんじゃないかと、
そのとき気ずいた。とても単純なんだけどね。
そして、2ヶ月くらいして東京に戻って、田無市の修理工場に入れてもらった。
当時、大泉に映画の撮影所があってね、すごく珍しかったダッチなんかも
よく入ってきたよ。日産車が中心の工場だったんだけど、当時はまだ
ライセンス生産でつくってたオースチンA50も多かったな。
インチ工具とはその頃からの付き合いになるね。
でも、最初の3年は工具なんて触らせてもらえないんだ。
特にオレは資格も知識もなかったから、いつも洗車係。
同期入社の他3人は専門学校卒で、どんどん仕事を覚えてゆく。
つらかったなあ。ドジもおおかったよ。いっぱいあるよ、
そういう話なら。ミゼットのパンク修理に来たお客の目の前で、
空気入れすぎてバーストさせたり、ラジエーターに入れる水を
エンジンオイルを入れるフイラーから入れちゃったり。
そんなことしてるから他人のミスを押しつけられたり・・・
夜も眠れないくらいに落ち込んだよ。
そんな日々だったから、目標が見出せなかった。大卒の初任給が
1万2000円くらいで、オレは6500円。若くて金もなくて、
やることといったらリーゼントで頭固めて女の子に声をかけたりね。
家にも今さら帰れない。

こりゃまずいと思ったのは、
楽に受かると思ってた2級整備士の試験に落ちたときだった。
ディーゼルの課目を落としたんだ。3級は楽勝だったから
ナメたんだね。それからだよ、ものすごく勉強したのは。本も
少なかったから、洋書をあさりまくったな。なにしろえらく本を
読んだよ。おかげで次ぎのテストは合格して、やっと自信がついた。
それ以後は自分を磨く意欲が生まれて、腕のいい人がいると聞いた
工場を巡り歩いたんだ。技術を盗みたくて。独立して店を構える
友達の話が耳に入ってきても、その頃はジェラシーを感じなかった。
オレはとにかく腕を上げることしか考えてなかったから。
’71年あたりに、工場に籍を置きながら個別に仕事を請け負い始めた
今から思うと、あれがオレの独立の第一歩だったんだな。家のそばに
小屋を建てて、そこで修理してたから、ショップとはまるで
呼べなかったえどね。その辺りからクルマの売買も始めて、
メカニック以外のことも覚え始めた。 


大事なことを話さなきゃいけないな。オレとミニの出会いだ。
初めてミニを見たのが何年だったか忘れたけど、季節は夏だった。
工場のサービスカーをこっそり持ち出して、友達と海水浴に行ったんだ。
工具を積んで走っていると、けっこう壊れて立ち往生してるクルマと
出会ったりするの。それを、その場で直して修理代を稼ぐことも
したなあ。それで、どこの海かは覚えてないが、オレ達の乗った
トラックが、まっすぐな道でちっちゃなクルマに抜かれたんだ。
そのクルマがまたすっごく速い。道の先はクランク状の左カーブで、
あのまま突っ込んだら絶対に事故るって友達と叫んだんだ。
クラッシュ見たさもあってカーブに急ぐと、何も起きていない。
ウソだろうって向こうを見ると、そのクルマが小さくなってゆくんだ。
信じられなかったな。後で調べたら、それがミニだったんだ。
その後ミニを触る機会はずっと訪れなくて、実際にミニを
真近に見たのは、池宮自動車が母体のソックスという会社で
働いたときだった。ここの若社長の池宮さんはオレと同じ歳なんだけど、
なんというか神様みたい。すごく頭もよくて、運転もうまい。
MGのレストアが多かったんだが、ある日池宮さんがミニを
やろうといい出したんだ。今日港にクーパーSが2台着いたから
一緒に取りに行こうと誘われてね。横浜の本牧の行ったの。
そうしたら、英国ナンバーのままだけど、このまま乗ってちゃえと
いう話になって、オレは生まれて初めてミニをドライブしたんだ。
池宮さんはレースもやっていてテクニックがあるし速い。
後を追いかけるのも大変だったんだけど、とにかく運転していて
興奮しちゃうんだ。オセリチューンのエンジンにアバルトのマフラー、
ミッションのうなり、タイヤのきしみ。そのときに感じたものは、
今も忘れられない。こんなクルマだったのかという驚きと感動。
それまで何台もの英国車をいじってきたし、
フェラーリーだって乗ったこともある。なのに、この小さなクルマは
何だって3速全開にしながら叫んでたよ。夏の日に海岸線で見た
鋭いまでのコーナリングが、すぐにできちゃったんだ。
信じられないよね。そのまま東京まで走り切ったんだけど、
ドアを閉めたとき、オレはわかったんだ。ミニをやりたいってね。
オレの細かい話はもういいよな。とにかくミニと出会って、
その楽しさを知って今に至ってのは幸福だと思う。
ま、苦労は絶えなかったけどね。オレはミニで運命が変わっちゃったから、
お客さんも言うの。「あなたの人生変えちゃうよ。そのくらい
魅力あるクルマなんだよ」って。けっこうジジイになったから、
若いコが素直に聞いてくれるよ。オレは、ミニをずっと残したいと
思ってるんだ、マジで。だから、話したいんだよ。
             




北海道のクマです

 アイヌ犬にはまった!!ミニ一代おじさん

  大いに吠えるコラム

 2・ミニだけはオレたちが残したいんだ

  

 好きなものを好きだと言い切るには、自信と信念が

 なくてはだめだと思う。北海道のクマさんこと河西氏は、

 公明正大声高に、ミニが好きだと明言するのである

 ミニの将来を心から案じるひとりのオジサンが、あえて

 口を開く異色コラムの第2回今回は、ちょっとホットだ。

 オジサンの核心が少しずつ見え始めてきた

ちよっと困ってるんだ。前回はオレの半生というか、今日までの

道のりを話したんだが、実際に文字になるとなんだか美談ぽく

見えて仕方ない。T村氏のフォローがうまいからなんだよ。

オレはそんなに美しい人生を送ってきちゃいないんだがなぁ。

さて、今回いただいたお題は、どのようにミニに乗って

ほしいとオレが思っているかである。それについて正面切って

話すと、すごく押しつけがましくなりそうなので、そうだな、

ミニの良さから考えていこう。どう乗るかよりどう楽しむか。

ミニってのはそういうクルマなんじゃないかとオレは思うんだ。

ま、オジサンの戯言なので、少しだけ耳を傾けてくれたら

それでいい。ある雑誌で、モータージャーナリストという

輩が、ミニなんて時代錯誤もはなはだしい。もうどうにもならん

クルマだと書いていたのを読んだことがある。

果たしてそうなのだろうか。オレは違うと思ったね。

ミニの存在そのものは、ファッションだよ。すごくおしゃれだ。

クラシカルに仕立てても、新車のままでもミニはミニなんだな。

そう、クルマというよりミニ。ジャンルに分ければ自動車に

属するが、ミニはどこまでいってもミニ以外の何物でもないと

思うんだ。そういう存在感というか力を持ったものって、

他にないよな。例えば最近のクルマなんて、オレにはまったく

区別ができないよ。国産か外車かもわからない。空力とか燃費を

追い求めた結果、どうにも個性がなくなっちゃった。

それだったら1000ccでもミニを選ぶね。この感覚は時代錯誤

なのかな。オレは違うと信じるけど。

いつも考えるんだが、オレがそんなふうに思うミニをつくった

アレック・イシゴニスは本当に素晴らしい人だ。イシゴニスの

優しさとか温もりが反映されているよ。シンプルなラインは

柔らかいボディラインをつくり、なにしろ人に威圧感を与え

ないじゃないか。オレは、この威圧感のなさというか、

存在自体の温かみがすごく重要だと思っている。

どんな使い方をしてもいい。毎日の足にしてもいいし、

ギンギンにフルチューンしてもいい。ただ、気取ってスカして

乗るもんじゃないな。つんけんして運転するのも似合わない。

なんというかな、人が見たときに笑顔が感じられるような

乗り方が、もっともミニらしい。それを粋というんじゃ

ないだろうか。

こんなことがあったな。幹線道路がえらく混んでいて、

脇道に逸れたんだ。そしたら女子校の校門の前に出ちゃった。

運がいいのか悪いのか、ばっちり下校時間と重なっちゃってね。

割と狭いその脇道が女の子たちであふれてしまった。

少々急いでいたから弱ったなと思ってたら、誰かがオレの

ミニ・ピックを見て「キャーかわいい」って言ってくれたんだな。

そしたら、その場にいたほとんどの女の子が振り返って、

ミニを取り囲んだの。そうなったら、悪い気はしないじゃん。

ちょっとお調子者だからさ、このデカイ顔をスライドガラスから

出してピィスピィスって愛想をふりまいてやったの。

そしたら、ブーブーだって。シュンとしちゃったよ。

ま、考えてみりゃミニがかわいかったわけで、このクマ面が

ウケたんじゃないんだよな。渋々顔を引っ込めようとしたら、

ひとりの女子高生が「オジサン、カッコいいじゃん」て

言ってくれた。うれしかったねェ。サンキュサンキュって

答えたら道を開けてくれて、女子高生の花道をゆっくりと

走り去ったのさ。あのときオレがクラクション鳴らしながら

通ったら、ミニまでも嫌われてたと思うんだ。オレは急いでる。

彼女たちも下校時間だ。両者が自分のことだけ考えたら、

絶対にぶつかるよな。そこを、すこしだけ譲ってみると、

ささやかだけど楽しいコミュニケーションが生まれたりする。

それが自然にできちゃうのがミニなんじゃないかな。かわいかったな、

あの、女子高生は。

乗り方っていえば、昔こんなヤツもいたな。嶋ちゃんていう

フォトグラファーで、こいつがまた底なしの大酒呑み。

オレも人のことはいえないが、いちばんすごいときで、

2人でボトル3本。おまけに1.5キロの焼き肉を平らげる

豪傑だった。そいつがミニに乗る姿ってのが、とっても

粋なんだよ。MK1の850だけど、エンジン回す回す。

クーパーSに着いて行こうとするからね、平気で。

それじゃいつか壊すよって言うと、壊れたら直せばいいんだと

カッカ笑う。そりゃマズイぜと思ったけど、誰よりも楽しそうに

乗ってたんだ。ミニから降りてくるときも、インナーハンドルで

ドアを開けたりしない。スライドガラスを引いて外側のハンドルに

手を伸ばして、ガツンとやる。ドアに鍵なんか掛けないんだ。

バンと閉めてスタスタ歩いて行く。大したことじゃないのかも

しれないけど、オレにはカッコよく見えたね。今でもミニから

降りてくるでっかい図体の嶋ちゃんが目に焼きついてるよ。

壊れることを自慢するというか、美徳に思ってる人と時々出会うが、

ナンセンスだよ。あと、床の間に飾ってるんじゃないかと疑うほど

大事にしすぎてる人。レストアしたmk1といったって、ミニは

走ってなんぼじゃないかな。人のミニ見て我がミニ直せ、なんて

言ったヤツもいるが、ちゃんと整備すればmk1やミニ・マーコス

だって大雪の札幌を走れるよ。ミニのパーツは、本当に安くなった。

10年前に比べたら大変なもんだよ。そうゆう時代にミニ乗れるんだから、

車検2回くらいで手放すんじゃなく、しっかり整備して、あと10年

乗ってみようじゃないか。他に乗りたいクルマがあるか?

国産車なんて5年も乗ったらもう換え時過ぎてるって言われちゃうよ。

オレのお客さんで、30年前のミニをレストアしてくれって言った

人がいる。これから先20年乗るために直したいんだと。

現代の交通事情に合わせてつくれば、オレは彼の希望はまず間違いなく

かなえられると思っている。ミニはそうやって乗り続けることが

可能なんだ。そこが大事なんだよ。人生の半分ミニとかかわってきた

間で、ミニにも大きな波がいくつかあった。ディラーが新車の販売を

やめたときなどは、もう終わりだなって本気で考えたよ。商売そのもの

でも何度もピンチがあった。やめようと、何度思ったかなあ。

そんなとき、カミサンが言うんだ。あんたは他に打ち込めるものが

あるの?ってね。継続は力でしょ、と。そうなんだ、いつもミニと

一緒だったんだ。生涯の仕事なんだよ。ミニをいじるのが。

そういうものを持てたことを神に感謝しちゃうよ。

オレはね、本当にミニが好きなんだ。この先80歳になっても

ミニの仕事をしながら生きたいと思っている。本気だよ。でも、

それには努力を惜しんじゃいけない。これまでにいろんな名車が

生まれては消えを繰り返したけど、ミニだけはオレたちが残したいんだ。

今ミニに乗っている人も、これから乗ろうと思う人にも、ミニに

何かを感じ続けてくれれば、オレはうれしい。我々ミニショップが

各地でイベントを開くのも、その何かを絶やしたくないからなんだ。

そうやって日本のミニ文化をますます繁栄させたいと思う。

これは、このオジサンのテーマでもあるんだが、ミニショップが

今後いかにミニ乗りと接して行くか、また業界をどう成長させるかで、

ミニが本当に永遠のベストセラーとなるか、あるいは過去の名車として

消え去るかが決まる時期にある。これは重大だよ。オレは、何としても残したい。

そのためには、みんなで考えなくちゃね。オジサンの頭だけじゃ

堅くてダメだからさ。いい意見があったら連絡してほしい。

オレは札幌にいるよ。




北海道のクマです

   カゼで声がガラガラ!!ミニ一代おじさん

      大いにに吠えるコラム

  3・ショップのオヤジが楽しまなくちゃね

第4回ジャパン・ミニ・ディで手をはらし、声をからした河西さんは

人間は感動するクマである、という名言を残した

感涙にヒゲも濡れた北海道のクマおじさんが熱い胸の内を語る

異色のコラム第3回は、ミニショップはどう在るべきかを考えた。

とにかく、ジャパン・ミニ・ディだ。オレはとっても感動したんだよ。

クマのオレがいうのも変だが、感動って人間に与えられた

最高の感情だよね。ミニ好き同士がひとっ所に集まって繰り広げた

イベント。サーキット走行やタイムトライアル、それからショップ村。

どのプログラムも楽しかったと思うんだ。

あの日、オレはホームストレートのメインポストにいたんだけど、

チェッカーフラッグを振ると助手席の女の子が手を振り返して

くれたんだな。通常のレースだったら絶対に考えられないシーンだよね。

うれしくなっちゃってね、旗を振りつつ片方の手をぐるぐる回して、

そんなミニ乗りたちに必死で応えたよ。クマがウォーウォー叫んでたからね、

遠吠えが耳に届いた人もいたんじゃないかな。

それだけじゃないんだ。フィナーレーミーティングが終わって、

オフィシャルの面々が手持ちのフラッグでサーキットを後にする

ミニを送り出してるとき、盛り上がってたオレは思わずコースに

飛び出した。退場を待ってる人に今日の感想を尋ねたら、

本当に楽しかったと答えてくれたんだ。がっちり握手したね。

そうしたら順々に流れてくるミニから次々と手が伸びてくるじゃないか。

どのくらいの人たちと握手したか覚えていないよ。すべてのミニが

サーキットからいなくなったら、手のひらが赤くはれて、ノドが

ガラガラだった。瞳をうるませてありがとうと言ってくれた

ミニ乗りが何人もいた。クマの目頭も熱くなったよ。

ミニって、何なんだろうね。一瞬にして感動を分かち合えるんだよ。

こんな素晴らしいクルマ、他に在る分けない。そして、そんなミニが

好きな仲間たち。この日スズカに集まったすべての人にお礼を言いたい。

それから、前日から駆けつけ、当日は朝の3時から夜まで働き続け、

イベントを大いに盛り上げてくれたオフィシャルの皆さん。

本当にご苦労様。あなたたちがいて、このイベントが成り立ちました。

クマを感動させてくれてありがとう。

好き勝手なことを書いちゃってゴメンね。今回のコラムにもちゃんとした

お題があるんだ。いつも難しいテーマを投げかけてくるT村氏の依頼は、

「これからのミニショップの在り方」だそうだ。編集者ってのは、

よくもまあ難解なことを平気な顔で言い放つよな。感心するよ。

まったく。例によってクマの個人的な考えを書くことにしょう。

ミニショップの在り方。そうだな。まずはオレの反省から入っていこうかな。

15年くらい前までのオレは、えらくつっ張っていたんだよ。常連客じゃ

ない限り、いらっしゃいなんて言ったことがなかった。一見さん

お断りってやつだ。それだけじゃない。お客が無断で工場に入って

きたりすると、何しに来たとばかりニラミ返していた。紹介がなければ

客扱いしない。今から考えたら、ただの乱暴者だよね。バカげちゃいたが、

当時のオレは、それが英国車をいじる者のプライドだと思っていた。

無口、不愛想、偏屈が英国車好きの誇りであると錯覚してたんだ。

きっと当時のお客は、オレが怖かっただろうね。いやぁ恥ずかしい。

顔が赤くなっちゃう。クマ穴があったら3回は冬ごもりしたいくらい

恥ずかしい話だ。もちろん今は違うよ。カミさんに懇々とお客商売に

ついて説教されてから変わったんだ。もう大丈夫。ゴツい顔は

相変わらずだけど、目は優しいよ。若い女の子にだって、けっこう人気

あるんだから。なんて言ったりして、クマおじさんまたしても照れる。

余談はさて置き、最近ミニオーナーがミニショップ離れを起こしていると

よく聞くが、その理由は何なのか、オレなりに分析してみた。第一に、

近頃は商売を優先しすぎて、ショップそのものに夢がなくなってしまったんじゃないか。

その結果、お客は興味を失ってしまった。急場のこしらえで安売りを

しても、それはただの一時しのぎなんじゃないだろうか。何はなくてもholtukaidouno

忘れちゃいけないのはハートなんだよね。お客が悩んでいるときは

真剣に対応するべきだし、また、いかに楽しくミニに乗せてあげられるかが、

ミニショップの使命なんだと思う。お客が期待しているのはそこだろう。

まずはね、ショップのオヤジがミニに乗って楽しく遊ぶ姿をお客に

見せなくちゃダメなんじゃないかな。ショップオーナーだって、

元は一人のミニ好きだった連中ばかりなんだから、初心に返るってことだよね。

長くショップをやっていると、もうツーリングはいいよなってつい思っちゃう。

でも、今日も新しいミニオーナーは生まれてるんだ。つまり、ビギナーは

期待を持ってショップに訪れようとしているわけなんだよ。そのことは、

北海道に移ってからオレも再認識させられた。スノボとか誘われるんだよ、

50歳のオヤジが。もちろん行くよ。そうゆう交流の中でミニの素晴らしさを

話すと、とても自然に伝わるんだよね。ツーリングに行くと、お客からは

オレがいちばんのやんちゃ坊主だっていわれるけど、とにかく楽しいんだ。

実際カラダはキツかったりする。もうオヤジだもの。でも、歳を取ったからって

照れたりせずに、一緒にイベントをやって、ミニが愛せるクルマだってことを

もっと語り合わなくちゃいけないよね。

いちばん言っちゃいけないのは、他のショップで買ったミニの悪口だ。

それって、自分に向かってツバを吐いているようなものだと思う。

人の悪口を聞きたいヤツなんていないよね。そんなんじゃお客は

離れて行くよ。人間は、明るくてプラス志向を持った者に引き付けられるもの。

お客にもいろんなタイプがいるからすべてのお客を理解できないかもしれないけど、

オレはプラス志向でありたいし、プラス志向の人々と楽しく過ごせれば

最高だよ。事実、明るいスタッフがいるショップは、大勢のミニオーナーが

遊びに来ている。立地条件じゃないんだよ。志向の問題なんだね。

もうひとつ問題を提起するとしたら、ショップの無個性化だな。

最近のショップは、オレが始めた頃に比べたら驚くほどキレイになった。

いわば日本独特のショップ文化だね。昔の例をもいだすと笑われるかもしれないが、

ミニショップ創世記は、オーナーの意気込みとかポリシーが店内に

むき出しになってたよ。オレが他のショップへ行ってもドキドキするくらいだった。

レアパーツならあの店、チューニングならあの人、レストアはあの工場と

いう具合に、特徴もはっきりしていた。これだけミニショップが増えた現在、

昔とまったく同じように専門色をはっきり打ち出すのは難しい面もあるけど

多いからこそ特徴を明らかにする必要があるんじゃなかろうか。

とにかく、どんなことがあっても避けなきゃいけないのは、ショップどうしの

いがみ合いだ。例えばミニ・ディ。あれだけのことは1軒だけでは

とてもできないけど、力を合わせればプロのイベント屋が驚くほどの内容になる。

もしも全国のミニショップがあるひとつの目標を持てたとしたら、ミニに

とって素晴らしいことが起きるんじゃないかな。これは夢の話なんだろうか。

我々がおつき合いしているパーツ問屋さんの倉庫ってすごいんだよ。莫大な

ストックなんだ。それを見てるとね、20年はミニに乗れるって勇気づけられる。

ローバーが現行のミニを中止したら、たしかに我々への影響は大きい。

でも、そう考える度にあのストックパーツの山と、問屋さんの意気込みを

思い出すことにしている。まだまだイケる。パーツをムダにしちゃいけないってね。

日本のミニ文化を舵取りしたいるのは、オレたちショップなんだと真剣に



北海道のクマです

  今日もビールがうまい! ミニ一代おじさん大いに吠えるコラム

 4・石狩湾にログハウスを建てよう

  取材で訪れたクマさんのショップは、若いミニ乗りで

  あふれていた社長ッとか、クマさんとか、こっちが

  ビクビクするくらいみんな親し気で当の河西さんはいつでも

  笑顔なのだった。2年前、突然北海道に旅立ったクマおじさん

  は北の大地に何を感じたのだろうか

北海道が大好きなんだ。おいおいクマがいきなり何を吠えてるんだって

思っただろ。実は、今回のお題は、オレの新天地、北海道についてなんだ。

この土地の感想を一言で言うと、まあつまり好きなんだよな。

またしても難しいテーマをありがとう、T村氏。

第1回にも書いたが、今から30年以上も前に、あてもないまま遠い

町に行ってみたくなって、無銭旅行をしたんだ。その土地が北海道だった。

とにかく金がないから2等列車に22時間も揺られ続けた。

座席なんて木だよ。尻は痛いし、若かったけどひどく疲れた。そうやって

たどり着いたから、北海道は地の果てに思えた。マジでね。

将来の不安なんか抱えてた頃だから、あの旅行は言葉にならない

思いでになっている。その無銭旅行の後、不思議と北海道には縁がなくて、

2度目に訪れたのは、つい3年前だ。飛行機だったら、東京から1時間

ちょっとなんだよ。驚いたね。こんなに近かったんだね。いろんな想いが

駆け巡ったよ。オレに親切だったあの人はどうしているんだろ。

ひとりっきりになったあの場所は変わってしまったのか、なんてね。

そうして窓の外を眺めていたら、緑の大地がクマの目に飛び込んできた。

何かこう背筋がゾクゾクしてきたんだよ。千歳空港から札幌向かう途中でも、

またキたね。30年の時間を越えて見た景色の、なんて新鮮な感動!

思わず吠えちゃったよ。ドボルザークが初めてアメリカに行ったとき、

そのスケールの大きさに感銘を受けて、気持ちが高揚したまま作曲したのが、

『新世界』なんだ。オレはドボルザークと同じ気持ちになったね。

札幌に着くまで、いや北海道に滞在中は、いつも耳の奥で、『新世界』が

鳴り響いていたな。若かった頃とはまた違う気持ちで、あちこちを見て歩いた。

札幌ってのは政令指定都市なんだけど、街中に白樺の木が無造作とも

思えるほど植えられているんだ。オレは白樺の木が好きでね。

それだけで感動しちゃったよ。その札幌からクルマで30分も走れば、

風景ががらっと変わる。最高だと思ったのは、石狩湾に沈む夕陽だ。すごいぜ。

湾のど真ん中に太陽が落ちていくんだ。関東で育ったオレは、山に沈む

夕陽は何度も見てきた。だけど、水平線の彼方に消えていく太陽と、その後ろに

広がる空がこんなに豪快で美しいとは思わなかった。いや、まてよ。

似たような夕陽をどこかで見た覚えがある。あれは‘78年にパーツを

買い付けに行ったニューカレドニアだ。フランス語しか通じない島で、

3日間寂しかったな。小さなレストランでひとりで晩飯を食べているときに、

でっかい太陽が海に沈んでいった。でも、石狩湾の夕陽はそれ以上だったよ。

もうたまらない気持ちになって、オレはまたしてもスゲーって吠えた。

こんな場所で暮らしたいって、心から思ったよ。

そして2年前、実行に移しちゃったんだ。

さて、新しいミニ・ショップをだすのを手段にして、北海道に住む目的を

果たしたわけだが、最初はなんにも売れなかった。関東ほどミニをいじらないんだろうな

と予測してたけど、ここまでとは思わなかったよ。どうすんべぇかなって考えた。

すでに札幌にはミニショップがあったし、同じやり方では失礼である。

メカニックあがりのオレの個性を出すには、やはり修理をメインにするしか

他に道はない。クマの脳ミソで悩んだ挙げ句、よし、ミニには一切値段をつけずに、

お客との会話の中でミニをつくり上げていこうと決めた。決めたのはいいが、

お客よりオレが戸惑っちゃってね。初めての試みだし。なにしろ、このクマ面だろ。

お客が話しくれないんだ。中には得体の知れない下請け工場かと思ってたヤツもいた。

何事も最初は苦労するもんだよな。でもさ、ミニ好きってのはやがて気持ちが通じるんだよ。

会話の糸口が見つかれば、後は崩れ込むように盛り上がる。

誰もが結局は、いかに楽しくミニに乗れるかに行き着くんだ。来た頃は、

北海道人はミニをいじりたくないんだと決め付けていたけど、それは間違いだった。

彼らにも、こうしたいという強い希望はちゃんとあった。

外観はMK1仕様とか、ボディカラーはこんな色とか。

オレは、そういうリクエストをひとつひとつ聞いて、

好み通りのミニをつくることにした。

大事なのは、ノントラブルのミニじゃなきゃいけない点だ。

北海道は都市間が広いだろ。もし何もないところで止まったらシャレにならない。

そこで、ベース車輌は‘80年代後半を使って、エンジン、ミッション、

足回りをオーバーホールする。そういうミニをお客と一緒につくってゆくのを

ノースランドスペシャルと呼ぶことにしたんだ。いくらか値は張ってしまうが、

好みの形や色が実現できて、長く乗れる。信頼関係も生まれる。

納車のときの喜ぶ顔を見ていると、これは間違ってなかったなと思うね。

MK1やカントリーマンなんかをレストアしてきたオレにしてみると、

‘80年代のミニはボディさえ良けりゃ新車と同じだからね。仕事は早いよ。

全部バラして組み上げるのは、若いメカニックのいい教材にもなるし。

ヤツらに言ってるんだ。修理屋じゃダメだ、アーチストになれって。

そうじゃなきゃお客は喜んじゃくれない。オレたちがミニに愛を込めないで

どうするって、思った通りのことを口にしてるよ。

おかげ様で、ノースランドスペシャルは大好評です。北海道以外からも

注文が入るようになって、実のところ、てんてこまいなのだ。

レースにも行けないくらい、すっごく忙しい。なにしろこのノースランド

スペシャルは7日で1台仕上げられるんだけど、それでも追いつかない。

クマもメカニックたちも、うれしい悲鳴を上げてます。

2年前、ショップを始めた当初は寂しい感じだったけど、今じゃ土、日

ともなればミニの集会場だよ。楽しいお客ばかりでね。いつかしらクラブ

ができていて、何かあっては50台のミニが遊んでいる。そういう姿を

見ていて、北海道に来てよかったなとしみじみ思う。オレのサクセスストーリー

を話してるつもりはないんだよ。でも、もしひとつ自慢できるとしたら、

それはお客とじっくり話せたことかな。昔のオレになかったのは、そこなんだろう。

乗りたいと思っているミニをつくってあげられる。こんな楽しい仕事ができるなんて、

クマは本当にハッピーなのだ。

最近、内地から、なんてすっかり北海道の人間になっちゃているけど、

旅行で訪れた人が「クマさんに会いにきました」なんて寄ってくれるようになった。

クマ、とっても喜んでる。コラムを始めて本当によかったと思うし、

少なくとも店に顔を出してくれた人たちは読んでくれってるってことだものなあ。

感慨無量とはこのことだね。はるばる会いに来てくれて、ありがとう。

北海道に上陸したら必ず寄ってください。寂しがり屋のクマが、

いつでも歓迎しちゃうよ。今のオレの夢を話してもいいかな。

先に話した石狩湾が見渡せる丘にね、ログハウスを建てたいんだ。360度

見渡せる場所で、朝は石狩平野の地平線から昇る太陽を眺め、夕は湾の彼方の

海に沈むでっかいお陽様に感動しながらミニ談義に花を咲かす。

ジャグジーバスで汗を流したら、近海で獲れた新鮮な魚でバーベキュー。

たまらないね。フフフ、実はそういう家を建てる準備を、すでに始めているのだ。

5年計画なんだけどね。完成したら遊びに来てほしいね。それもミニで

乗りつけてくれたらもう最高。ミニのことを語り明かせるログハウス。

がんばってつくるからね。   



 北海道は早くも冬!?ミニ一代おじさん

 大いに吠えるコラム

5 イベント前夜は、未だに眠れない

    クマの恐るべき念力によって、見事に晴れ渡った

    北海道の大イベントその模様は70ページを見て

    いただくとして、5回目になるこのコラムでは

    言い出しっぺであるクマさんこと河西さんがイベントについて

    「これはミニにとって重要な行事なのだ」と熱く語る(吠える?)のであった

  いやいや本当にコラムってのは難しいもんだね。オレに言わせろ、

  なんて編集部に頼んでこうなったから自業自得なんだけど。学生時代の作文なんて、

先生の添削で真っ赤になって換えってきたもんなあ。

オレがコラムを書いているなんてお袋が知ったら、きっとたまげるに違いない。

この企画が終わったら、全部を見て」もらうつもりなんだ。

親孝行も兼ねて、今日もペンを握るとしよう。なんだかいつも個人的なことで申し訳ないね。

さて、今回のお題は、8月に行ったミニ・ディin北海道。

例によってT村氏が、なぜイベントをやろうと思ったか、

結果どうだったのかを語れというんだな。うーむ。

ひと言でいえば、鈴鹿のジャパン・ミニ・ディと同じように、とっても感動したんだ。

それでT村氏が納得してくれるはずもないから、クマはまたしてもいろいろ書くのである。

オレの大好きな北海道でイベントができたこと。それから、

地元のクラブがオフィシャルでがんばってくれたことは、もう格別の想いだね。

スタッフは、さぞや大変だったろうね。なにしろ2日間だからな。

本当は自分たちが楽しみたかったはずなのに、縁の下に回ってくれた。

クマの目には天使に映ったよ。誰かのために何かをするって、とても大事なことだ。

彼らは、それが自分たちの大好きなクルマだったから、あんなに働いてくれたんだと思う。

クマの心にビンビンに響いてきたよ。オレが礼を言うのも何だが、ありがとう。

感謝してます。できたら、来年もお願いしたいのだが、どうだろう?おっといけない。

彼らのことを 考えてたらウルウルしてきちゃったぜ。北海道は、

これまで年に1度だけ 十勝スピードウェイで走行会が催されてきた。

305やミニディのような ビッグイベントに参加した人は、数えるぐらいしかいなかったんだ。

そんな北海道のミニ乗りに、走行会だけじゃないイベントを見せてあげたい。

動機は実に単純だった。ただ、イベントをやるにはひとりじゃ無理だから、

クラブのメンバーに話した。答えはふたつ返事だよ。すっごくうれしかったね。でも、

イベントの運営が成功するかどうかは、オフィシャルになる クラブにかかっている。

けれど、それはオレが口にする前に、彼らが 充分理解していた。その時点で、

今回はもう大成功だなって思ったよ。

実際のところ、プログラム進行がうまく進まなかったりもしたけれど、

キリキリ時間通りにやるなんて北海道に似合わないもんな。楽しく、愉快に、

 のんびりと、が今回のコンセプトだから、それでよかったんだ。そうそう、 

 聞いておくれよ。当日までの天気は毎日のように曇りのち雨で、まるで夏を 

 忘れたかのような気候だったんだ。しかし、オレだけは信じていた。

  必ず晴れる、いや晴らしてみせるってね。そうしたらどうだい。

  晴れるどころかイベントの2日間は、この夏いちばんの暑さになったじゃないか。

  クマの念力は天気も動かしちゃんだぜ。ただ、内地から来た人には申し訳なかったな。 

 それと、道産子オフィシャルが暑さに参っちゃったのは、計算外だった。

 いろんな人が来てくれたよ。ミニ業界のお偉いさんも大勢駆けつけて、おまけに手伝ってくれた。

一般のお客さんだってスゴイよ。道内各地はもちろん、 東北や関東どころか、

兵庫、大坂、愛知、静岡、山梨、長野、もうびっくりしたのなんの。

クマの体毛、逆立ち状態だ。「クマさんに会えてよかった」と言ってくれたり、

写真を一緒に撮ってくれと頼まれたりして、もうデレデレに照れたよ。お袋、

オレはコラムを書いていてよかったです。ありがたいなあ

ぜイベントをやるのかと尋ねられることが時々ある。

どんな意味があるのかってね。イベントを辞書で調べると『重要な出来事、

行事』と書いてあるそうなんだ。これはとても重要な行事なんだよな。

ひとりでミニに乗っていても、だけど、

例えばルーカスのフェンダーミラーをつけようと思うんだけどどう思う?

なんて、ミニに興味のない人に話したって「このバカ」って笑われるだけだろ。

つまりさ、同じ趣味の仲間がいれば、ミニがもっとおもしろくなるじゃないか。

1台が2台、2台が4台と増えていけば、楽しさが倍々になる。

イベントで 何百台ものミニと会えたら、ちょっと強引だけど興味も何百倍になるよ。

そういう交流が、イベントを開く意味であり、意義でもあるとオレは思う。

大事なのは、これから何年もミニを維持していくために、

イベントは絶対に 欠かせないということなんだ。

しかも、全国各地で開催されなくちゃいけない。「ミニの存在感を再認識した」。

イベントに参加した人の中には、そう感じた人も きっといただろう。

ミニを大事に思う気持ち、オレはあえて愛と呼ばせてもらうが、

そうしたみんなの愛情を確かめ会う場としても、イベントは必要なんだよ。

大好きなミニが1度に何百台も見られる、なんて思うと、

未だに興奮して眠れないんだぜ。子供みたいだけどさあ。結局、

一睡もできずに朝になるだろ。とりあえず着替えて会場ゲートに行っちゃんだな。

すると、次々ミニが集まってくる。

もうゾクゾク。シビレるぜ、ホントに。イベントが終わると、

またある人が尋ねてくる。

「どうだった?成功した?」とね。成功ってのは一体何を意味するのだろうと考える。

誰がみてもはっきりするのは、人やミニの台数や、あるいはお金のことだよね。

たくさん集まって、しこたま儲かれば成功あのか。ま、それを失敗とはいわないんだろうが、

必ずしも数だけじゃ決められないと思う。きれい事っていわれてもいいけど、

オレは開催する側と参加する人々の気持ちの入り方で決まるものじゃないかと思っているんだ。

は逸れちゃうんだけど、インドだかどこだかに、

サイババと言う人がいるだろ。

TVで偶然に見た番組だったんだが、手から白い粉のようなものを出して、

それで病気を治しちゃうらしいんだな。真実かトリックかオレにはわからない。

ただ、サイババはこう言った。「神は確実に存在する。

あなたの心の中に必ずいる」。この言葉、オレは信じたな。

オレの人生に取り入れようと思った。イベントも同じだ。

楽しく感じられるかどうかは、自分の心次第なんだね。

楽しもうと思わなければ何が行われてもつまらない。

逆に何もなくても気持ちひとつでハッピーに なれる。つまり、プラス思考だ。

イヤみタラタラ文句ブツブツの人生なんて、まっぴら ゴメンだよね。確かにオレは、

これまで数多くのイベントに参加したり、あるいはオフィシャルになったりしてきた。

そういう意味じゃ、慣れやマンネリがないとはいえない。

でも、自分にこう話かける。参加してくれる人々に、

オレの楽しさやうれしさをどれだけ伝えられるか、

どれだけ感動を分かち合えるかってね。そうすると、

マンネリになんかならないんだ。必ず初心を思い出せる。

そういうオレと、参加者の気持ちが ピッタリ重なると、

もうイベントはやめられない。現代のミニ乗りが何を考え、

何を求めているかをゆっくり話せるのも、イベントのいいところだ。

そんな風にして友達が増えていくのは、本当に素晴らしいね。いやいや

またしても熱く語っちまったな。年甲斐も なく、なんてお袋に言われそうだよ、まったく。



いよいよ最終回!ミニ一代おじさん

大いに吠えるコラム

   6 オレはミニが大好きなんだ

 今、ボクらに必要なのは、口が悪くても説得力のある、そのくせ面倒見のいい

 父親とは別のオヤジじゃないかと思った。そして河西さんと話しているうちに

 この企画が生まれた。河西さんの原稿は、そこいらのライターよりはるかに

 的確で新鮮これは本当です。思ったことをはっきり表現できるクマさんの、

 いよいよ最後のコラム!

し、今回はいよいよ最後だ。長いようで短かったけど、

言い残したことを全部しゃっべちまおう。まず、メディア関係の諸君に申し上げたい。

世間には、クルマの店だけを集めて1冊にした『スペシャルショップ』という本がある。

この手の本、果たして本当にスペシャルなショップばかりかというと、

クマには かなり疑問だ。T村氏がドキドキしちゃうといけないからはっきり区別しておくけど、

例えば雑誌の中に載っているショップの広告。これは話が別だよ。じぶんの会社を

アピールしたくて金を払っているんだから、それを信じるかどうかは読む側に かかっている。

クマがここで吠えながら問題にしているのは、出版社なり編集者が まとめて、

スペシャルショップとして紹介した場合を指摘してるんだよ。

なぜこんなに怒っているかというと、読者はスペシャルショップといわれて 信じてしまうだろう。

そうしてその店に行ってみると、これがまるで話が違う。

オレの店に来てくれたお客さんの中には、そんな体験をした人がたくさんいるんだよ。

「英国車は壊れて当たり前」「英国車はそんなもの」「英国車に乗る資格はない」

   なんてことを、はっきり言われたというんだ。クマは怒っちゃうね。

英国車を愚弄      するにもホドがあるぞ!声を大にしていうが、

ミニはそんなクルマじゃない。

初めて乗る英国車としては最適だし、一生乗る英国車としても最高だ。

きちんと整備すれば、何年だって楽しめる価値の高いクルマなんだ。

そういう風に話してくれるショップこそが、多くの人が読む本に紹介されるべきだよね。

お金をもらって本をつくる。それもいいだろう。しかし、それを信じる読者への

責任はどうするんだ。いくら表現の自由があるとはいえ、実体を調べないのは

絶対にいけないね。業者ではなく、読者を中心にした本でなくちゃ。

本の制作については素人だけど、いずれ誰かがいわなくちゃいけなかったことだ。

では、ミニのスペシャルショップとはどういうものなのか。クマの考えはこうだ。

まず、ミニを愛してなくちゃいけない。絶対条件だね。スペシャルな店なんだもの。

ミニと共に生きてくれなきゃお客としては信用できないよね。具体的には、

ミニを売ったらアフターサービスを完璧にすること。つまり責任感なんだな。

ミニが売れるとなると店頭に並べて、ちょっとでも売れなくなったら別のクルマに置き換える。

こんなのは スペシャルショップじゃない。ミニを何台売ったかではなく、

真のミニオーナーを 何人育てたか。ミニの楽しみを何人に伝えたか。

そこがスペシャルショップのスペシャルに値する条件だと思うな。

オレがいうのもおこがましいんだけどね。

店構え、パーツのストック量、価格。そういうのもショップの性格づくりには大切だけれども、

結局は人なんだよ。それは北海道にきて、よくわかったような気がする。

ウチの若いスタッフなんか必死でミニをいじってる

そういうのってお客に伝わるんだ。心のつながりなんだよな。

他のショップの悪口をいう店。これはダメだね。先が見えてる。

自分に自信がない証拠だって思われても仕方ないよな、実際。

自分とこばかりホメたって、お客は信用しない。そうだろ?

 時代は、タイコが遠くから鋭く響いてくるような感じで不景気を迎えつつある。

ミニ業界だってそれを避けられはしない。こんなときに、

日本中にあるミニショップはどうするべきか。同じミニを扱っていても、

営業方針が 各店で異なるのは当たり前だ。だが、

和と協調なくして今後のミニの方向性はないと思うよ。

同業者をつぶすなんて考えたりしたら、

お客にはマイナスイメージしか与えない。

どんなに素晴らしいクルマが目の前にあっても、

カジ取りを間違えたらあっという間に 消え去られてしまいかねないんだ。

まず目的を持とう。1台でもミニをなくさない努力をしよう。

お客とショップの間に、ギブ&テイクはない。ギブ&ギブだ。

ミニに乗って いる人に、いかにミニを楽しんでもらうかを、

業者同士で考える時期に来たんだよ。

 損得なしに、腹を割って話し合える同業者がいたら、

オレはどこへでも行くつもりだ。そうして和が生まれ、協調の精神が育ったら、

こんなに素晴らしいことはないよ。幕末の当時、

完全な敵だった薩摩藩と長州藩が奇跡的に手を組んで、

明治時代をつくる きっかけを生んだ。藩長連合ってやつだ。

お互いひとつの目的があったから、いがみ合うのをやめたんだな。

今クマがいいたいのは、

各ショップが「意地を張らず」「変にこだわらず」「自分だけを考えず」

「すべてを思いやる」ということだ。

何が見たくないかって、解体屋にうず高く積まれたミニの姿。

そんなことを現実にしないためにも、過去じゃなくて未来を話し合いたい。

そして最後にすべてのミニオーナーの皆さんへ。これからミニを買う人は、

ショップのミニに対する意気込みを買うつもりになってください。ミニはかわいい。

でも、それだけじゃ乗り切れない部分もあるんだ。長く乗ろうと思うなら、

スペシャルショップのアドバイスを耳に入れて、

こいつの弱点を知り、こまめに面倒を見てやらなくちゃね。

よく、とりあえず車検をパスするだけの整備でいいと注文する人がいるが、

しっかりチェックしたほうが後々ラクだよ。

例えば、新車のミニのハブベアリンググリス。

クマにはどう見たって3年間持つ量が入っているようには思えない。

それを知らずに乗って、ドライブシャフトとベアリングを壊したら、

修理はかなりの額になっちゃう。脅かすつもりはないんだ。

ただ、そういう部分もあるから、オーナーは 勉強しなくちゃいけないし、

アドバイスしてくれる人と出会わなくちゃいけないよね。

さいきんはミニショップ離れが激しいなんていわれるけど、

怖がらずにのぞいて みてくれよ。いきなりパーツを売りつけたりしないよ。

あなたがミニを大事に想って 相談するなら、

きっと親切に応じてくれる。みんなミニが好きでショップをやってるんだ。

間違いないって。ミニに乗ってるヤツって、夢があるんだな。北海道に来て、

最初は ちっともお客が来なくて、やっと来てくれた連中と雑談していると、

みんな夢を話すんだ。これって大事だよなあ、

初心を忘れちゃいけないと思った。ずっとミニを愛し続けて ほしいよね。

クマは心からそう思います。それから、

たったひとつのクルマで長く 続いているこの本、

ミニ・フリークは本当に素晴らしいよ。全国のミニオーナーの愛を伝えてくれてるもの。

クマの遠吠えをこんなカタチで表現してくれたことにも感謝します。

これからも、ミニにとって有意義な本であり続けてください。

今回でクマのページは終わります。最後までオヤジのわがままな独り言につき合って

くれた皆さんに感謝します。どうもありがとう。オレはミニが大好きだ。

ミニを乗っている人も大好きだ。とくに楽しそうに乗ってる人がね。みんなのミニに、

北斗七星の光を通して愛とロマンを送り続けます。


本当にありがとう。           北海道のクマより





 北海道のクマです


         SPECIAL


     みんなでミニを守ろうぜ!
;96年のミニ・フリークで6回に渡り連載したクマさんのコラムは
  ミニへの熱い想いと飾らない語り口調で、多くの支持を集めた
  河西さんが筆を休めてから1年。きっと話したいことがたくさん
  タマってるはず そしてついに別冊で1度きりの復活を果たした。


  響け、クマの遠吠え!!


本当に久し振りだね。ミニ・フリークの連載が終わって、ほとんど1年ぶりか。
皆さん元気でしたか?クマは相変わらず快調に生きてるよ。
それにしても、T村氏はいきなりなんだ。「増刊号をつくるんです。久々にコラム
書いてください」だって。苦労するんだよ。実際。気軽に引き受けちゃうオレも
オレだけど。まあそんなわけで、取り留めのないクマの遠吠えを聞いてください。
ところで、ミニ・フリークの37号を見たかい?ニュウ・ミニが紹介されていたね。
あれを見てそれぞれに感想を抱いたと思うが、マイッたね。未知の部分が
多すぎるから現時点で評価するのは正しくないかもしれないけれど、
オレはあのカタチを「ミニです」とお客さんには言えないな。
正直なところ、驚きのあまり呆然としちゃったよ。ニュー・ミニを知って、
やっぱり今のミニ以外はミニじゃないんだという意識がより強くなってしまった。
とうとうミニが生産中止になるんだ。ずっと昔、ディーラーがミニの輸入を
ストップしたことがあって、これで終わりかなんて嘆いたけれど、
今度は本当にストップなのだ。とても残念で、すごく悲しい。
でもね、クマはいつまでもシュンとしていないよ。ニュー・ミニがどんなクルマで
あろうと、それは問題じゃない。オレにとっての大問題は、今のミニがこの後
どうなってゆくかなんだ。できることなら、日本全国のミニショップと団結して
ミニの型を買い取ってしまいたい。スーパーセブンを良い手本にして、生産し
続けられればいいなと思う。夢のような話かな。その気になれば実現できなくないと
クマは考えているんだけど・・・・
これまでにも多くの名車が消えていった。時代の流れと受け止めなくちゃ
いけないのもわかる。しかし、ニュー・ミニを見たら、クマは逆に燃えたね。
現行ミニを後世まで残さなきゃって。オレの義務のように感じてる。クマの目が
黒いうちは、この日本で元気にミニを走らせることに情熱を傾けると決めた。
生産中止まで、残り2年くらいしかない。過去の例を見ると、メーカーは
新型車をドンと売り出すために、じきに旧型となる現行車の価値を極端に
下げようとするんだ。下取り価格を落としたり、部品の供給を締めつけたり。
おまけに無責任なモータージャーナリストが理由もなく新型をホメたりするから、
多くの人々がなんとなく買い替えを考える。これはパターンだね。
ローバージャパンがどうするかはわからないけれど、今は見守るしかない。
そういうパターンが繰り返された結果、日本の経済が支えられてきたのも事実だ。
単純に否定できるものじゃないのはよくわかっている。
だけどね、ミニだけはなんとかしたいんだ。マニアのわがままと言われようと、
永遠のベストセラーをパターンの中に沈めたくはないんだよ。
流行でミニに乗っている人もいる。後2年でなくなるから乗る人もいれば、
なくなるかから降りる人もいる。でもさ、自分の価値観は周りに流される
ものじゃないだろ?ミニが好きだから乗ってるんだろ?好きなものはいつまでも
側に置いておきたいじゃないか。そうゆう自然の欲求というか、想いを大切に
したいとクマは考えるんだ。
最近、とてもうれしいことがあったんだ。ウチに来てくれたあるお客さんの
話なんだけど、この人は苫小牧から札幌まで毎日ミニで通っている。片道60km
にもなるんだよ。’90年型のミニ1000で、オドメーターはすでに2回り。
もう20万kmも走ってるんだって。ミニは飾って置くクルマじゃない、
ガンガン走れっていつも言ってるオレだけど、さすがに驚いちゃったね。
それだけ乗っても大きなトラブルはゼロ。今回、ウォターポンプの水漏れが
起きて修理したが、それさえ初めての経験だという。ディーゼルエンジン
みたいだとみんなで笑ったよ。他にも傷んでいる箇所はある。少々オイル上がりの
症状が出ていて、マフラーから白い煙を吹いたりもしているんだ。
しかしオーナーは、「まだまだ行けるよ。だってリッター18kmは楽に走るし、
他にほしいクルマもないしね。なにしろカワイイ。修理してもらったから、
そうだな、まだ10年は乗れるんじゃないかな」。クマの目に涙ホロホロ。
うれし泣きだね。ミニってすごいだろ。現実に20万kmを超えても使えるんだよ。
それくらいタフだということを知ってほしいんだ。補器類を交換すれば、
相当な距離を走れる。物を大事に使うのは、美徳だ。大消費国のアメリカだって、
なにかあればクラシックカーがあちこちから集まる。英国なんかも、すごいよね。
確かに日本の駐車場には問題があるけれど、だからといって使い捨てはもう古いよ
な。。エコロジーって騒いでも、相変わらずお題目だし。1台のクルマを長く乗るっ
ていうのは、ある意味で地球に優しいと考えられるだろう。そんなことも含めて、ミ
ニを大事にしたいと思うんだ。どうやってミニを残すか。

2年後にやってくる最大の危機からミニを守るのは

やっぱり我々ミニショップにかかっている。
どのような方向性を打ち出すべきか。もはや単独ではなく全体で考える必要が
あるだろう。だが、ショップだけではダメなんだ。ミニに乗り続けたいオーナーも、
立場を越えて一緒に知恵を絞ってほしい。こんなことをいうのはおこがましいけど、
他力本願じゃ良い結果は導き出せない。何かしてくれるのを待っていちゃダメだ。
時間は多く残されていない。だからといって、難しく考える必要は何もない。
すべては「ミニが好き」という気持ちが原点だからね。
それから、ミニ・フリークにも期待している。メーカーとショップとオーナー、
これをつなぐのは雑誌以外にないからね。ともすればパニックに陥るかもしれない
これからの2年を、根底から支えてほしいんだ。とのかく、ミニを残したい。
たとえ新型が出て現行車が生産中止になっても、今、目の前にはたくさんのミニが
生きている。このまま走り続けさせてやりたいんだ。それがクマの生きる道なのだ!
ま しかし、久し振りだと何を書いてるんだかわからなくなるな。


妙に気負っちゃって、読み返すと恥ずかしくなる。みんなT村氏の責任だ。
これを書いている10月の後半で、札幌はすでに冬。空気が澄んで、遠くの山がとて
も近くに見える。海の幸もうまいし、日本酒もイケる季節になった。
移り住んでホントよかったよ。北海道はいいぞ。ミニ・フリークに連載中、
石狩湾を見渡せる丘の上にログハウスを建てるぞ、なんて勢いいい話をしたけど、
ちょっと方向がずれちゃったんだ。小樽市に銭函町という町があってね、そこの農家
に住めることになったんだ。山の中なんだよ。石狩湾も一応見える。けれど、当初の希望だった360度見渡せる場所ではない。それでも、都会育ちだったオレにすると、山の自然は素晴らしいんだ。引っ越せるのは来年の2月なのに、仲間からは「銭函町クマに注意」とか「クマの仙人」とか言われちまってる。ログハウスの夢も捨ててないよ。お金がないからさ、札幌の連中と古い電柱や角材を集めて、手づくりログハウスをつくろうと計画しているんだ。次ぎの春、雪が解けたら人海戦術で一気に建てようと思ってる。夏までに完成させたいね。さて、廃材でどんなログハウスができるやら。
こいつが建ったら、みんなに遊びに来てほしいんだ。ミニに乗ってきてほしいな。夜
になったら焚き火を囲んで小樽の地ビールの乾杯だ。最高だろ?
それができりゃ、ログハウスの形なんてどうでもいいよな。少なくとも雨はしのげる
家になると思うから、期待しすぎずに遊びに来てよ。コラムだからカッコつけて夢を
語ってるんじゃないんだ。そういう場所ができたら、いろんな人とミニについて語り


合えるじゃないか。ミニ乗りとはそんな付き合いをしたいんだ。オレ自身、楽しみに
してる。札幌のクマは冬眠しないでガンバってます。
   またいつかどこかで。

今までのNOI-NO7は1996年と97年にミニフリークに掲載したコラムでした。


kuma